治験の問題点として、どうやったら治験の質を上げることができるだろうか? というのがある。
治験の質を上げる方法にはどんな方法があるだろうか?
……と言うようなことを考える前に「治験の質」を定義しよう。(いつものようにね。)
「治験の質」を評価する指標として考えられるものに以下のものがある。
1.プロトコルからの逸脱が多い
2.CRF( * )とカルテ等とのデータが一致していない。(それをモニターも監査も把握していない。)
(* Case Report Form:症例報告書とかケースカードと呼びます。)
3.監査からの指摘が多い(う~~ん、これは微妙。同じ会社でも監査する人により監査で指摘する基準が違いますからね。ましてや会社が違えば随分と違います。参考になるのは日本QA研究会(JSQA)http://www.jsqa.com/です。
4.総合機構からの指摘が多い(同上。審査担当官によって微妙に違う。)
5.GCP違反、GCP不遵守、GCP逸脱が多い。(どうも「GCP違反」とか「GCP不遵守」という、この呼び名を嫌う人がいるのですが、本末転倒もいいところでしょう。)
まず、誰もが一致した意見だと思うのは「プロトコルからの逸脱が多いと治験の質が悪いと考える」ということ。
次に、これまた満場一致だと思うのが「GCP違反が多い治験は質が悪い」ということ。
この両者は微妙に内容が違う場合もある。
例えば「プロトコルからの逸脱が多い」と「科学的なデータの信憑性が低くなる」ことが多い。
一方「GCP違反」の場合は「創薬ボランティアの人権や安全、福祉を守っていない」ことが多い。
もちろん「プロトコルからの逸脱」が即ち「GCP違反」でもあるけれど、ここでは問題の定義よりも、その解決方法を考えるのが主題なので、それは無視する。
さて、「プロトコルからの逸脱」では何が一番多いか?
かつて僕が日本臨床薬理学会(http://www.jscpt.jp/)などで聴いた範囲では次の「プロトコルからの逸脱」が多い。
(1)選択基準、除外基準からの逸脱
(2)検査スケジュールからの逸脱
(3)併用禁止薬、併用禁止療法からの逸脱。
これらの「プロトコルからの逸脱」は重大な違反に繋がることが多い。
例えば(1)選択基準、除外基準からの逸脱を考えると、それだけで創薬ボランティアの安全性が大きく損なわれる恐れがある。
特に除外基準からの逸脱はそうだ。
心臓疾患や肝臓疾患の既往歴がある人や合併症として持っている人はたいてい除外される(「除外」という言葉は創薬ボランティアから見ると、かなり「冷たい、嫌な」言葉だよね。)。
そのような創薬ボランティアを治験に参加させたりすると、これは大きな問題だ。
また、選択基準からの逸脱が多いと、治験薬の効果が正しく反映されないことにも繋がる。
たとえば「過去に抗がん剤の治療を受けたことが無いひと」という選択基準を逸脱した場合などが、それに当たる。
では、この『(1)選択基準、除外基準からの逸脱』をどう防ぐか?だ。
まず、基本路線で言うと「治験責任医師や治験分担医師、CRCにプロトコルをよく説明する」ことから始まる。
さらに、インフォームド・コンセントに使う同意説明文書の中にも「選択基準」「除外基準」を記載しておくと良い。
何故なら、患者さんが既往歴や合併症、現在使っている薬などを正確に把握していなかったり、医師やCRCに言い忘れたりする可能性がある。
そこで、同意説明文書にそれらを記載しておけば、患者さん、自らが選択基準に合致しているか、除外基準に抵触するような治療や既往歴が無いかを考えてもらえるようにする。
(このようなケースで、創薬ボランティアが除外基準にある治療をやっていることが分かり、治験参加に至らなかったという事例を、僕自身、何度か聞いたことがある。)
■治験推進センター
■治験、臨床試験の情報サイト
■架空(仮想)の製薬会社「ホーライ製薬」
■臨床試験、治験を考える「医薬品ができるまで」
■僕の治験活性化計画 by ホーライ
2007年3月12日
2007年2月21日
今、日本で実施されている治験の数は?
先日、テレビの中で北野武が「阪神・淡路大震災は死者が6000人以上でた地震と言われるが、そうではなく一人が死んだ地震が6000回以上起こったと考えると別の思いが出る」と言っていた。
確かにあの阪神・淡路大震災で亡くなられたひとから見れば、「6000人以上が死んだ」とひとくくりにされたくないだろう。
ひとりの人間の人生はひとつである。
その貴重な人生がひとつでも無くなれば終わりだ。
そんな災害が6000回以上発生した、と考える。
たとえば亡くなられたひと本人でなかったとしても、家族や友人がひとりでもあの阪神・淡路大震災で亡くなられたひとにしてみれが、衝撃的なことだろう。
もちろん「6000人以上が死んだ阪神・淡路大震災」という言い方でも、僕たちには衝撃的であり、今後の震災に対する被害を少しでも少なくしたいと思う。
でも、北野武の見方もそれはそれで僕たちに強烈なものを呼び起こす。
そこで、パクリが好きな僕はすぐに「治験」で、こういう見方をするとどうなるかを考える。
つまり、今、日本で実施されている治験の数はいくつだろう? と考える。
多分、100人以上を目標症例数にしている治験は30個以上あるだろう。
それだけでも、上の見方で言うと3000人以上が治験に参加しているのだから、3000個以上の治験が存在するわけだ。
その中に例えば僕の母も去年の夏の頃には入っていた。
それは間違いなく、僕にとっては実の母が参加しているひとつの治験だった。
3000個の治験ではそれぞれに有害事象やひょっとしたら重篤な副作用が発生しているかもしれない。(事実、僕の母は強度の倦怠感が原因で、その治験を途中で自ら辞めた。)
そんな痛みや苦労を僕たちは簡単に考えすぎてはいないだろうか?
今、治験の活性化5ヵ年計画の案が練られている。
そうなると、これからますます多くの方が創薬ボランティアとして痛みや苦労を背負うことになる。
もちろん、その治験薬のおかげで病気の苦しみから少しでも救われるひともいるだろう。
そんなひとり一人の人生に想いを馳せながら僕たちは暮らしているだろうか?
「目標症例数、600人!! 目標とする治験の終了日は2009年12月!」って、ひとくくりにしていないだろうか?
こんなことを考えながらでは治験なんてできないと誰かは言うかもしれない。(そして、それはそうかもしれないが。)
でも、僕の耳にはまだ去年の夏、電話の向こうで辛そうに症状を言っていた母の言葉が残っている。
これからも僕はずっと、こんなことを考えながら、暮らしていくつもりだ。
これは誰かに強制されるものでも、強制するものでもない。
好き嫌いの問題なのかもしれない。
今、たった今も、この瞬間に日本では3000個以上の治験が行われている。
確かにあの阪神・淡路大震災で亡くなられたひとから見れば、「6000人以上が死んだ」とひとくくりにされたくないだろう。
ひとりの人間の人生はひとつである。
その貴重な人生がひとつでも無くなれば終わりだ。
そんな災害が6000回以上発生した、と考える。
たとえば亡くなられたひと本人でなかったとしても、家族や友人がひとりでもあの阪神・淡路大震災で亡くなられたひとにしてみれが、衝撃的なことだろう。
もちろん「6000人以上が死んだ阪神・淡路大震災」という言い方でも、僕たちには衝撃的であり、今後の震災に対する被害を少しでも少なくしたいと思う。
でも、北野武の見方もそれはそれで僕たちに強烈なものを呼び起こす。
そこで、パクリが好きな僕はすぐに「治験」で、こういう見方をするとどうなるかを考える。
つまり、今、日本で実施されている治験の数はいくつだろう? と考える。
多分、100人以上を目標症例数にしている治験は30個以上あるだろう。
それだけでも、上の見方で言うと3000人以上が治験に参加しているのだから、3000個以上の治験が存在するわけだ。
その中に例えば僕の母も去年の夏の頃には入っていた。
それは間違いなく、僕にとっては実の母が参加しているひとつの治験だった。
3000個の治験ではそれぞれに有害事象やひょっとしたら重篤な副作用が発生しているかもしれない。(事実、僕の母は強度の倦怠感が原因で、その治験を途中で自ら辞めた。)
そんな痛みや苦労を僕たちは簡単に考えすぎてはいないだろうか?
今、治験の活性化5ヵ年計画の案が練られている。
そうなると、これからますます多くの方が創薬ボランティアとして痛みや苦労を背負うことになる。
もちろん、その治験薬のおかげで病気の苦しみから少しでも救われるひともいるだろう。
そんなひとり一人の人生に想いを馳せながら僕たちは暮らしているだろうか?
「目標症例数、600人!! 目標とする治験の終了日は2009年12月!」って、ひとくくりにしていないだろうか?
こんなことを考えながらでは治験なんてできないと誰かは言うかもしれない。(そして、それはそうかもしれないが。)
でも、僕の耳にはまだ去年の夏、電話の向こうで辛そうに症状を言っていた母の言葉が残っている。
これからも僕はずっと、こんなことを考えながら、暮らしていくつもりだ。
これは誰かに強制されるものでも、強制するものでもない。
好き嫌いの問題なのかもしれない。
今、たった今も、この瞬間に日本では3000個以上の治験が行われている。
2007年2月15日
『不二家問題』と『治験の活性化問題』の共通項
新卒の面接でひたすら「不二家問題」を問うたのは僕です。
来年の4月(2008年度)の新入社員候補に対する面接試験がもう始まった。
それに借り出された僕は試しに僕が面接した全員に同じ問題を問いかけた。
「不二家問題の報道を聞いて(見て)、どう思いますか?」
すると、全員が信用問題を取り上げた。
曰く「食品会社としての信用を大きく落とした。」
曰く「こうなる前に手を打つべきだった。」
曰く「一回ならまだしも、繰り返したのはよくない。」
そこで僕はまた問う。「では、あなたが不二家の社員ならどうしますか?」
ここからは各個人個人で答えが大きく異なる。
「当事者だとしたらしょうがないけれど、当事者で無いなら止めるように言う。」
「どうしたらいいか分からない。」
「上の者に止めるように言う。それで職を失っても仕方がない。」
「さっさと転職する。」
「信用回復に努める。」
「多分、私も上に言えない。」
部外者として「あーだ、こうだ」と批判するのはたやすい。
しかし、当事者として答えを出すように考えるのは難しいし、自らに問いかける習慣のある人はほとんどいない。
「治験の活性化」で、当局を批判するのはたやすいし、誰だってできる。
大切なのは、「では何か、アイディアを出してください」と聞かれたときに答えられるかどうかだ。
さらに、もっと大切なのは、そのためにまず自らが行動できることだ。
「そういうアイディアを出すために当局(厚生労働省のお役人)がいるのだ。」って、なに?
そういうことを言って何か、解決に繋がるのだろうか?
「では、あなたに全ての権限を与えますから、治験の質をあげて、さらにスピードもあげて、治験依頼者からも医療機関からも、文句の出ない制度を作ってみてください。」
「それは俺の仕事ではない。」
……笑えない。
■治験、臨床試験の情報サイト
http://www.edita.jp/chiken/
■架空(仮想)の製薬会社「ホーライ製薬」
http://horaiseiyaku.web.fc2.com/
■臨床試験、治験を考える「医薬品ができるまで」
http://iyakuhin.web.fc2.com/index.html
■僕の治験活性化計画 by ホーライ
http://chikengcp.269g.net/
来年の4月(2008年度)の新入社員候補に対する面接試験がもう始まった。
それに借り出された僕は試しに僕が面接した全員に同じ問題を問いかけた。
「不二家問題の報道を聞いて(見て)、どう思いますか?」
すると、全員が信用問題を取り上げた。
曰く「食品会社としての信用を大きく落とした。」
曰く「こうなる前に手を打つべきだった。」
曰く「一回ならまだしも、繰り返したのはよくない。」
そこで僕はまた問う。「では、あなたが不二家の社員ならどうしますか?」
ここからは各個人個人で答えが大きく異なる。
「当事者だとしたらしょうがないけれど、当事者で無いなら止めるように言う。」
「どうしたらいいか分からない。」
「上の者に止めるように言う。それで職を失っても仕方がない。」
「さっさと転職する。」
「信用回復に努める。」
「多分、私も上に言えない。」
部外者として「あーだ、こうだ」と批判するのはたやすい。
しかし、当事者として答えを出すように考えるのは難しいし、自らに問いかける習慣のある人はほとんどいない。
「治験の活性化」で、当局を批判するのはたやすいし、誰だってできる。
大切なのは、「では何か、アイディアを出してください」と聞かれたときに答えられるかどうかだ。
さらに、もっと大切なのは、そのためにまず自らが行動できることだ。
「そういうアイディアを出すために当局(厚生労働省のお役人)がいるのだ。」って、なに?
そういうことを言って何か、解決に繋がるのだろうか?
「では、あなたに全ての権限を与えますから、治験の質をあげて、さらにスピードもあげて、治験依頼者からも医療機関からも、文句の出ない制度を作ってみてください。」
「それは俺の仕事ではない。」
……笑えない。
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2007年2月14日
治験の問題点・・・「遅い小児用新薬」
製薬協提供TV番組「ゆめの瞬間いのちの一枚」を観て(その2)
昨日(2007/02/12)の「ゆめの瞬間いのちの一枚」を観て思ったことの続きです。
子ども用の新薬開発についてです。
昨日の番組では三人の子どもが病気と闘うために薬を利用してることを紹介していたのですが、実は子ども用の新薬というのはなかなか開発されない傾向にあります。
何故ならば、子どもを対象とした治験を製薬会社が避けるからです。
何故、避けるかと言うと子どもは大人より薬に対して敏感なので副作用が出やすいことが一番の理由だと思います。副作用が出やすいうえに、子どもだと大人よりも(大人だってそうですが)、会社は怖がります。万が一のことがあったときの補償やらマスコミメディアへの取り上げられ方などなど。
治験参加に伴う同意の問題もあります。
まず子どもの親が自分の子どもを治験に参加させたがらない。そうなると治験も長期化して費用が嵩みます。また、仮に親が治験への参加に同意したとしても、本人が嫌がったらどうするか、という問題もあります。(ちなみに、あなたなら、どうしますか? 子どもの年齢が5歳だった場合と12歳だった場合で考えてみてください。)
小児科学会では子どもの用法を持った新薬が出てこないことを心配して、また困っており、学会として製薬業界に小児に対する用法を検討した治験を早くやるように催促しています。
通常、新薬はまず大人(成人)で試験され、そのデータをもって新薬の承認を得ます。製薬会社は、大人(成人)で使用実績をつみ、ある程度の安全性が確認されたら、今度は小児を対象とした治験に手をつける、というのが一般的です。
では、大人(成人)の用法しか持っていなくて、子どもにも効きそうだと思った場合、医師はどうしているか?というと医師本人の責任で要領を決めて使っている、というのが現状です。
でも、いつまでも、こんなことも出来ないので、正式にきちんと小児を対象とした治験を行い、国の承認を得て欲しいと思うが小児科医の強い要望です。
と言うわけで、まだまだ日本の薬業界も問題が山積みです。
昨日(2007/02/12)の「ゆめの瞬間いのちの一枚」を観て思ったことの続きです。
子ども用の新薬開発についてです。
昨日の番組では三人の子どもが病気と闘うために薬を利用してることを紹介していたのですが、実は子ども用の新薬というのはなかなか開発されない傾向にあります。
何故ならば、子どもを対象とした治験を製薬会社が避けるからです。
何故、避けるかと言うと子どもは大人より薬に対して敏感なので副作用が出やすいことが一番の理由だと思います。副作用が出やすいうえに、子どもだと大人よりも(大人だってそうですが)、会社は怖がります。万が一のことがあったときの補償やらマスコミメディアへの取り上げられ方などなど。
治験参加に伴う同意の問題もあります。
まず子どもの親が自分の子どもを治験に参加させたがらない。そうなると治験も長期化して費用が嵩みます。また、仮に親が治験への参加に同意したとしても、本人が嫌がったらどうするか、という問題もあります。(ちなみに、あなたなら、どうしますか? 子どもの年齢が5歳だった場合と12歳だった場合で考えてみてください。)
小児科学会では子どもの用法を持った新薬が出てこないことを心配して、また困っており、学会として製薬業界に小児に対する用法を検討した治験を早くやるように催促しています。
通常、新薬はまず大人(成人)で試験され、そのデータをもって新薬の承認を得ます。製薬会社は、大人(成人)で使用実績をつみ、ある程度の安全性が確認されたら、今度は小児を対象とした治験に手をつける、というのが一般的です。
では、大人(成人)の用法しか持っていなくて、子どもにも効きそうだと思った場合、医師はどうしているか?というと医師本人の責任で要領を決めて使っている、というのが現状です。
でも、いつまでも、こんなことも出来ないので、正式にきちんと小児を対象とした治験を行い、国の承認を得て欲しいと思うが小児科医の強い要望です。
と言うわけで、まだまだ日本の薬業界も問題が山積みです。
2007年2月12日
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2007年2月10日
僕たちが治験で死守しないといけないもの
不二家の事件で関係者から出てくる言葉に「認識が甘かった」という言葉がある。
これは「そういう認識が無かった」わけではない。「それを認識していたけれど、対応が、考え方が甘かった」ということだろう。知っていたけれど、まぁ、大丈夫、大丈夫ということか。
僕たちの治験で死守しないといけないのは「創薬ボランティア」の皆さんの安全だ。まずはこれがないといけない。
「同意取得のための説明文書」にも「予期される臨床上の利益及び危険性」をきちんと書かないといけない。
また、治験は治験薬の「有効性」と「安全性」を調べるもので「有効性」だけを調べるものではない。
安全性は調べない、予期される危険性や新たに入手した安全性に関する情報を創薬ボランティアに伝えないとなったら、それはただの「人体実験」だ。
「治験」がかろうじて「ただの非人道的な人体実験」にならないのは、創薬ボランティアにきちんと「危険性」や重篤な副作用情報を伝えて、それでも治験に参加、継続してくださるかを常に確認しているからだ。
その「認識が甘く」て「予期される危険性」を創薬ボランティアに過小に説明したり「治験への参加の継続について被験者又はその代諾者の意思に影響を与える可能性のある情報」を入手したのに、それを創薬ボランティアに伝えないと、これは「倫理的でない」し「非人道的」でもある。
自分がそんな治験の創薬ボランティアだったらどうだろう?
僕たちが死守しないといけないのは「治験のスピード」でもなく「治験のコストを抑える」ことでもなく「製造販売の承認申請の予定されている期日」でもない。
今さら言うまでもないが僕たちが死守しないといけないのは「創薬ボランティアの安全性」だ。
ナショナルが自社のファンヒーターに欠陥があることが分かり、最悪の場合、死者もでる恐れがあるため、テレビや新聞でさかんに全国民に注意を促していた。僕が驚いたことは日本の『全世帯』に注意を促すハガキを出したことだ。(当然、我が家にも来た。)
治験では「予測できない重篤な副作用」については、その治験に参加している全ての医療機関の長と治験責任医師に報告する義務がGCPで規定されている。
ナショナルが日本の『全世帯』に連絡したことと比べると、治験の関係者などの数は微々たるものだ。たかが知れている。
「認識が甘かった」という言葉は死者の前では何の意味もなさない。
「認識が甘かった」という認識を持つこと自体が許されるものではない。
もし、そういう組織にいたら、どうやってそういう風土、モラルの低下を改善できるだろうか?どういう方法で、そんなことが起こらない組織にすればいいのだろう?
少なくともモニターの教育担当者としては「創薬ボランティアの安全性」を最優先に考えるモニターを育てるのが「死守すべき」ラインだ。
■架空の製薬会社「ホーライ製薬」
■臨床試験、治験を考える「医薬品ができるまで」
これは「そういう認識が無かった」わけではない。「それを認識していたけれど、対応が、考え方が甘かった」ということだろう。知っていたけれど、まぁ、大丈夫、大丈夫ということか。
僕たちの治験で死守しないといけないのは「創薬ボランティア」の皆さんの安全だ。まずはこれがないといけない。
「同意取得のための説明文書」にも「予期される臨床上の利益及び危険性」をきちんと書かないといけない。
また、治験は治験薬の「有効性」と「安全性」を調べるもので「有効性」だけを調べるものではない。
安全性は調べない、予期される危険性や新たに入手した安全性に関する情報を創薬ボランティアに伝えないとなったら、それはただの「人体実験」だ。
「治験」がかろうじて「ただの非人道的な人体実験」にならないのは、創薬ボランティアにきちんと「危険性」や重篤な副作用情報を伝えて、それでも治験に参加、継続してくださるかを常に確認しているからだ。
その「認識が甘く」て「予期される危険性」を創薬ボランティアに過小に説明したり「治験への参加の継続について被験者又はその代諾者の意思に影響を与える可能性のある情報」を入手したのに、それを創薬ボランティアに伝えないと、これは「倫理的でない」し「非人道的」でもある。
自分がそんな治験の創薬ボランティアだったらどうだろう?
僕たちが死守しないといけないのは「治験のスピード」でもなく「治験のコストを抑える」ことでもなく「製造販売の承認申請の予定されている期日」でもない。
今さら言うまでもないが僕たちが死守しないといけないのは「創薬ボランティアの安全性」だ。
ナショナルが自社のファンヒーターに欠陥があることが分かり、最悪の場合、死者もでる恐れがあるため、テレビや新聞でさかんに全国民に注意を促していた。僕が驚いたことは日本の『全世帯』に注意を促すハガキを出したことだ。(当然、我が家にも来た。)
治験では「予測できない重篤な副作用」については、その治験に参加している全ての医療機関の長と治験責任医師に報告する義務がGCPで規定されている。
ナショナルが日本の『全世帯』に連絡したことと比べると、治験の関係者などの数は微々たるものだ。たかが知れている。
「認識が甘かった」という言葉は死者の前では何の意味もなさない。
「認識が甘かった」という認識を持つこと自体が許されるものではない。
もし、そういう組織にいたら、どうやってそういう風土、モラルの低下を改善できるだろうか?どういう方法で、そんなことが起こらない組織にすればいいのだろう?
少なくともモニターの教育担当者としては「創薬ボランティアの安全性」を最優先に考えるモニターを育てるのが「死守すべき」ラインだ。
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